洗われた犬、旅先感を大事に


2017年はなんだか気持ちがカラッと変わったのか、過ごしやすい。
空港とかにある、動く歩道の上を好きな靴でスイスイ歩いているような・・・天気が良いから(眩しい青空が心地よい)なのか、生活(特に部屋)の見直しがうまくフィットしていってるのか。

ということをツイッターでつぶやいた。
フリーになって以来、どんなに人と居ても、都心にいても、これまでよりずっと"人里離れた"ような感覚がある。

それは孤独とも孤立とも違う、旅をしていて移動を続けている時のような感覚。
考えはただ流れるようにあるけれど、それを口に出さない、出さないからこと内側に溜まっていって、そして時が来れば、その時一緒にいた人に話してみる、というような静かな状況。

人知れず氷河が崩れ落ちるみたいにして、私の生活基盤のようなものは激変している。
価値観、今まで当たり前だったもの、今まで受け入れていたもの、そういうものがすべて総とっかえ、みたいなことになっている。

そしてそれは、汚れて寒がっていた野良犬が、温かいシャワーでゆっくり洗われているようなイメージに近い。
いくら汚れていても、汚れたなりに生活してきたのだから、いきなり洗われるのは嫌なものだ。
それでも、お湯は暖かく、汚れが落ちるたびに何かが軽くなるのがわかる。
いつのものかすらわからない垢を落としきって、毛皮が乾いて、石鹸の匂いがするような毛皮が風になびく頃、その温かさに馴染んだ犬はどんな顔をしているだろうか?
できればその眼差しの奥にあった暗い卑屈さも、洗われてしまっていれば良いと思う。

よくわからない例え(?)になったけれど、
ようは生まれ直すということ。
タオルを替えたり、服を変えたり。歩く街を変えたり、知らないお店に入ってみたり。
そんなレベルでも、変化は変化だ。

何一つこだわる必要はなく、ただただ今の自分と、今の自分が見る何かを楽しめばいい。
同じ毎日の繰り返しに思えても同じ時は来ないし、変化がない毎日に思えても変わらないでいられるはずもない。

今の私は、旅をしたい。
日常というものに対して謙虚でいたい。移ろう毎日に畏敬の念を持っていたい。
その中で、重しのように自分の生業を持っていたい。
それさえぶれなければ、世界のどこにいても同じことであるような。

去年は手当たりしだいなんでもやりながらそれを拡大しようとして、今年はでもやっぱり、一番自分にとって核の部分を生み出すことが必要なんだろうなと思う。
それには適切な時間と、潜る感じが必要で、そこはもう、うまいことやりたいと思う。

移動していたり、ホームから離れている時の方が私はそういう感覚になれるので、旅先感&旅先気分を大事にしたいなと思う。いつでも、流れるような感じを持っていたい。

旅をして、旅をするように日常を生きて、その全てが作品になり、誰かに還元する、その実感を得て嬉しくなる、そういう生き方をしたいと思う。

 
 

 


旅先感がほしくて、日常をこんな風に描き始めたのかもしれないと思う。旅してる時に、なんでも真剣にノートに書くみたいに。

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