いただいた質問へのお返事 /『消えそうな光を抱えて歩き続ける人へ』青山ブックセンタートークイベント

 大変遅くなってしまいましたが、青山ブックセンターのトークイベントで、事前に質問で募集していたご質問に(ついに!)お返事しますね。



時間の関係で、全部はご紹介できなかったのですが、ご紹介したものもできなかったものも全部書いてみました。



質問くるかな…荒れたコメントが来たらどうしよう…とドキドキしながら質問箱を設置して、一番最初にいただいたのがこのご質問で大変に和みました。食いしん坊前提で聞いてくださっていて笑ってしまいましたが合ってます。
何を考えているかというと、大好物を食べている時(焼肉、寿司、焼き鳥、ケーキなどなど)は、精神は多分完全集中していてマインドフルネスタイムですね。
時々、あまりにも美味しいチーズを食べたりすると、「ああ私はこの最高のチーズを食べたあとでもなお書きたいと思うことしか書かないようにしよう」みたいな感じで考えたりします。




ありがとうございます!!!(泣)
The Feeling Whenは、元々コンセプトとしてThe Feeling Whenで始まる英語の言葉を考えていたので、言葉の方が先に来ました。だけど最近は絵が先に来たり、一緒に来たりすることも多いです。一人で往復書簡をやっている感じにも近いかも。
いずれにせよ、日本語は英語を日本語に翻訳するような感じで、最後に決まることが多いです。




ありがとうございます!!!!!(泣いてばかり)
なるといいなあ。イラストエッセイ集みたいな形になると素敵ですよね。
毛布も結構時々で文体が違ってたりするので、統一感のある本になるといいなあと思っています。
一緒に願っていてください!笑




          

お二人とも、ありがとうございます!!一緒にお答えさせていただきますね。

イラストを描き始めたのは、大昔は子供の頃で、本格的に(?)描こうとしたのは高校の時です。美術部に入っていて、展示をすることになり、祖母が作っていた牛乳パックを再利用した葉書が可愛かったのでもらって、それにイラストと詩を描いていたらとても好評だったのですが、今思えばあの頃に今の絵と言葉のスタイルは始まっていたのかも。

人ではなくどうぶつで描くこと、ずっと確かになんでだろうと思ってたのですが、
最初の詩集を作った頃にはすでに動物になっていました。
昔から好きになるアニメや絵本は、リチャード・スカリーの「いそがしいまち」だったり、NHKでやってた「モンタナ・ジョーンズ」だったりと、動物が歩いているものが好きでした。
自分にとって一番自然な形が直立二足歩行する動物という感じだったのかなと考えています。

よく言われるのは、「この詩集のイラストが人間だったら生々しくて見れなかったかも」ということです。確かに、自分のこれまでの人生で、見た目や姿形についてずっと居心地の悪さを感じていたので、人間で描くという発想は持ち得なかったのかもなあと考えています。

そして熊や猫と思ってみてはいないというのもなんだかお人柄が滲むような素敵なコメントで嬉しくなりました。ありがとうございます。


これも質問箱で読んで思わず笑った質問でした!ありがとうございます。
今年の夏に引っ越した時に、引っ越しを「ノアの箱舟作戦」と名付けて、新天地に連れていきたいものだけを連れていくという、ハードな断捨離作戦をやったので、実は要らないものはありません!
とトークでは断言したのですが、今日大掃除をやっていて、いつの間にか新天地も汚されてしまっていたことがわかりました。だいぶ要らないもの増えてましたね…
NO.3 ダンボール、NO.2 ダンボール、NO.1 ダンボール!って感じです。あとは書類とか…。



こちらもトークイベントでお答えしたのですが、私は帰国子女というわけではなく、そもそも人口も相当少ない山奥の出身です。
小学校の時に元々実家近くの公民館の英語教室に通っていて、英語のカルタみたいなカードゲームが好きでした。その後高校で、一人の英語の先生に出会いました。とても厳しいことで有名で、白衣と竹刀のような棒を持って、恐れられていた、今の時代だったらちょっと考えられないような先生だったのですが、恐れられると同時に尊敬もされていました。
私はその先生を恐れながらも尊敬していました。言語を学ぶ、異なる言語を理解することを感じて、初めて自分の世界が外に向けて開かれていく感じを味わいながら、英語の勉強に一気にのめり込んでいきました。
授業で「昨日会った嬉しかったことを英語で書け(本当にこんな口調だった)」というお題が出て、「昨日生ゴミを捨てに庭に出たときに、見上げた星空が綺麗だった」と書いて提出し(無記名)、それを先生が読んで「かっこいいなあ」と言われた時のことを今でも鮮明に覚えています。

高校2年生の時に、その先生が急逝しました。
あまりにも突然のことで、ショックで、しばらくは受け入れられずに荒れていました。
ある時、英語を教えてくれる先生に他に誰も変わりがいないなら、自分が先生の後を継ごうと思って、英語を学べる大学に一気に進路を変えて、進学しました。
その後、教職を取るのが大変だと気づいて教職を取らなかったあたりが私らしいなと思いますが、あの英語の先生がいなかったら今の私はいなかったなと思います。

ここまでは受験英語を頑張ったという感じなのですが、そこから先は交換留学に行きたくて必死で英語を勉強した感じです。読むのは得意だけど聴いたり発話がダメだったので、シャドーイングやディクテーションをやってました。

大学のアフリカ地域研究ゼミの恩師が、高校の夏休みに、チャップリンの『独裁者』のスピーチを書き取ってくるようにという宿題が出たという話をしていたことを覚えていて、独裁者のスピーチを暗唱できるようにひとり特訓したりしていました。

暗記と音読がいいみたいです。
結構英語に対してはかなりの時間を使ってきたので、なんだか長くなってしまいました。



ありがとうございます!!
イラストや絵についての歴史。長くなってしまうのですが、元々作家になりたいと思ってからは詩や小説を書いていました。自分が絵を描く人というアイデンティティは全然なかったのですが、時々描いていたイラストの評判がなんだか妙によく、2016年頃に活動を開始した頃は、絵と言葉を合わせて出すという形に落ち着きました。そんな始まりなので、絵に対する自信はなく、というより自我すらあまりなかったのが、逆によかった(?)のかも。
いつしか絵のお仕事が増えるようになってからは、イメージするものやタッチを表現できたらと試行錯誤を重ねています。





ありがとうございます!!我ながら謎経歴ですよね。
でも実は自分の中では作家になる、そのために必要な経験をするということだけは一貫していたので、自分の中ではmake senseです。
言葉と絵を紡ぐことが自分がしたいことだと気づいたのは、大学3年生の時に、日本から脱出するような気持ちで留学したオーストラリア時代でした。
当時はやりたいことが全然わからなくて、自分が何がしたいかもわからなくて、結構それが自分の中で負い目みたいになっていて、周囲と比較して悩んでいましたね。
そんな中で大失恋をして、隣のニュージーランドを初めて一人で旅行したのですが、その時も泣きながらひとり長距離バスで旅をする感じでした。
その孤独でもの悲しい惨めな感じが良かったのか、風の強いウェリントンあたりで夜景を見ながら、自分にはマジで何にもない、何もないけど、でもその何にもなさとか、この悲しさを書くことができる、と気づきました。
何もかもどうにもならないと思っていたけど、作家になれば、それも全部無駄にならない、と気づいたら、文字通り一気に世界が変わって、色鮮やかにスローモーションのように見えたのを覚えています。
そこから取る授業も全然変わり、それまで対して本当は興味もない歴史や政治みたいなものをとっていたけど(今なら面白いと思う)、一気に哲学やアートの授業を取り始めました。

それからはずっと今の私という感じです。




このご質問は、トークイベントのことを書いた方に書きましたので、良かったらご覧ください!すごく素敵な質問ありがとうございました。





ニューノーマル。私もコロナの影響で突然勤め仕事が無くなったりして、結構影響を受けました。
何が正しいかもわからない状況で、海流に放り込まれたような気持ちでこの一年は過ごしていました。その一瞬一瞬の直感に従って動いて、そして友達とよく気軽に電話するようになりました。その海流の中でも泳ぎ続けて、身が締まったブリみたいに、なんというか前より少し強くなったんじゃないかなと思っています。それはなんというか、「泳ぎ方」を覚えたような感覚に近いかなと思います。自分にとっていちばん楽で、泳ぎやすい自分なりの泳ぎ方。
早くまた、人と気軽に会って夜遅くまで笑い合える日が戻るといいなあと思っています。




手帳、いいですね!ありがとうございます。そういうオファーが来たり、企画が通ったりしたら嬉しいなあ。でもまずは、毎月ダウンロードしたり待ち受けにできたりするようなひと月カレンダーを作ってみるのもいいかもですね。ありがとうございます!



ありがとうございます💛とっても嬉しくなりました。感じていること、全部全部大切になさってくださいね。私もいつもそんな感じで、それを大事にしたいなあと思ったのがこうして絵や言葉を綴るモチベーションです。




とっっっても長くなりましたが、皆様ありがとうございました💛
またやります!


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