『消えそうな光を抱えて歩き続ける人へ』と共に歩いた秋からのこと



今年、イラスト詩集『消えそうな光を抱えて歩き続ける人へ』が、ビーナイスから出版された。私にとっては人生で初めての、商業出版となる。


原画を描いていたのは実はちょうど去年の今頃、冬の時期。コロナのことがあって発売時期が遅れたけれど、結果それもこの本はベストなタイミングで生まれたんじゃないと思う。それくらい、いろんなことに恵まれ、発売から数ヶ月、多くの人に見てもらっている。

発売とともに、原画展、朗読・トークイベントと、怒涛の日々だった。怒涛だったけど、喜びと発見と、「今しかない」感じがずっと続いていたように思う。そんな得難い経験をさせてもらった。

一年の振り返りの代わりに、秋頃からのことを振り返ってみようと思う。


(そうそう。その前に。

noteから移行先を探し、なかなか見つからず、結局古巣のBloggerに戻ってきた。

2016年頃も私は変わらず『毛布』という名前のブログを書いていた。あまりにも昔すぎて(恥ずかしさのあまり)目を覆いたくなるけれど、これはこれで残しておこうと思う。昔のものは全部非公開にしようかとも思ったけど、なんだか忘れられていたことで生き残っていた「化石」を、捨ててしまうような感じもしたので…。

Blogger、気楽な昔ながらのクラシックな個人ブログ、というのが今の気分そのものでちょうどいいのかもしれない。これからnoteの記事はなんとか頑張って移行したいと思う。一体、いつになるかわからないけれど……)




Titleでの原画展の


怒涛の日々の始まりが、荻窪の本屋 Titleでの原画展と詩集の先行発売だった。


Titleでの展示は、2018年の『言葉をなくしたように生きる人達へ』につづいて、二回目。またTitleさんで個展ができることが本当に嬉しかった。

展示会場はTitleさんの2階。急な木の階段をゆっくりのぼり、静かな別世界に入っていくような場所。そしてそこには原画と、たまに、気配をなんとか消そうとしている私がいる。



作品と、その人の間に起こるものを見せてもらっているような時間が重なっていった。

原画展と合わせて先行発売だったので、原画展の時点で本を通して読んだことがある人は数えるほどだった。展示には、この本を読んだことがない人だけが来る。そこで何が起こるのか。映画の世界初公開、ワールドプレミアを待つ映画監督みたいな気持ちだった。

不安もあったけれど、私はこの展示を「公演」だと思おうと決めてから、一気にモードが変わって、展示の世界に集中することができた。何より自分自身が楽しみになっていった。展示を心から楽しみに思えて早く始まってほしい、早くお店に行きたいと思えたのは、多分初めてのことだったと思う。(いつもはもっとナーバス。)


そんなふうに始まった展示は、幸いなことに多くの方が足を運んでくれた。

遠方から来てくれる方もいたりして、毎日、すごいことだ、これはすごいことだと思っていた。自分のことを知っていて、見にきてくれた人がこんなにもいるというのがまず単純に驚きだったし、展示会場で、来てくれた方と作品の間に起こっているものがとても大きな展示だった。

「公演」と思うようにしたと書いたけれど、私自身は別に役者ですらない。

自分が描いた作品が主役というわけですらない。

作品と、見てくれた人の間に起こるものを、目の前で見せてもらっているような気持ちだった。


展示会場で、涙を流される方も多かった。それは作品がどうこうというよりも、作品がその人の内側にある何かと繋がったことで、内側にあったものが涙として流されたのではないかと思った。作品を通じて、何かを思い出し、そして自分自身や遠ざかっていた世界と繋がり直すような、あるいは解放されていくような。とても個人的な瞬間に立ち会っている気持ちになった。もしそうだったら本当に嬉しい。とても静かに、嬉しい。


今回遠方の方も会場の雰囲気を体験してほしいと思い企画したインスタライブでは、助っ人の友人に手伝ってもらい、明かりを消した薄明かりの中で朗読を行なった。そして朗読が終わった後はトークも。小一時間ほど話し、店主の辻山さんもゲストで出演してくださった。この夜のことはきっと忘れないだろうなと思う。


作家としても、生身の個人としても、終わった後、本当にたくさんのものをもらったと感じた。

個展にきてくださったこと、共有してもらった個人的な記憶、かけてもらった言葉、それを聴いているその瞬間の全てが得難い経験で、まさに身にあまるほどで、絶対に返しきれない。

じゃあどうするか? そう考えた時、作品の形で返していくしかないと思った。もらったものを全部溶かして、また作品を作っていきたい。




            



トークイベント


昔、桐野夏生さんが「アメリカだと作家は自分で朗読会やサイン会を企画して全米を回るのが普通」ということを仰っていたインタビューを読んだことがある。もう何年も前だと思うけれど、その頃から、いつか本が出版できたら自分もそんなふうにできたらと思っていた。

だから、山口の徳山にある蔦屋書店からトークイベントのお誘いをいただいた時は、本当に嬉しかった。

蔦屋書店周南市立徳山駅前図書館が企画した、「ほんわか日和」という一連の本に関するイベントの最終日に呼んでいただいた。徳山は、まどみちおさんの出身地だそうだ。図書館なので、期末試験を控えた高校生たちが勉強に集中していたり、全然集中できてなくてデッキやスタバで楽しそうに話している姿がなんだか明るくて、可愛らしかった。

担当してくださった方々が皆とても素敵で、こんな時期だからこそ朗読やトークで「ほんわか」してほしい、という趣旨を聞いたときに、その言葉の響きから、これは真剣に「ほんわか」を願ってらっしゃるんだ、と感じた。そしてそれはとても大事なことだなと思った。

人数は元々大人数と言うわけではなく、親密な空間になりそうだった。

それなら長文を朗読しても大丈夫かもしれないと、個展に合わせて制作したZINE『光について』の一部分も朗読した。長らくコンプレックスだった私の声は、心配をよそに、心地が良い声だと言ってもらえていた。ただしその心地の良い声には副作用があり、どうも眠気を誘ったようで、半分夢うつつのなかで聞いてもらうような(?)不思議な一体感があった。

だけど、なにせ「眠ってしまうくらいがむしろちょうどいいです」と事前に伝えてもらっていたから、寝ている人を見ても、よしよしお眠り、というような気持ちでもあった。今まで仕事のプレゼンで、聞く人が寝ないようにと頑張っていたのは一体なんだったのか。


会場の方からの質問も素敵で、山口は偉大な詩人が多い地であることを教えてもらった。それはそうだ。中原中也は山口の人だ。「詩」が身近にあって、それがまた言葉を愛する人を生むことが多い土地柄なんだな、と、一回訪れただけではわからないような次元が一瞬見えた気がする。また来たい、と強く思った。また来て、こんなふうにまた話せたら。

翌朝、教えてもらった純喫茶でモーニングを食べて、人気のない徳山港を散歩し、地酒を買って帰った。そのまちの美味しいお店を真剣に教えてくれるのがすごく好きだと思った。また徳山に戻ってきたいし、こんなふうにいろんな土地に行ける日が早くくればいいと思った。










***


その翌週、青山ブックセンターでのトークイベントがあった。青山ブックセンターといえば、自分自身が何度もトークイベントに足を運んだり、行く度に興奮気味に本を探していた場所で、憧れの本屋さんだ。お誘いをいただいた時は驚いて思わず叫んでしまった。

トークのお相手をお願いしたのは、ひるねこBOOKSの店主小張さん。この本の原点は、2017年にひるねこBOOKSで行なった同名の個展。活動当初からずっとお世話になっているひるねこさんに記念すべき舞台に一緒に上がってもらえないかとお願いした。


事前に「質問箱」でいただいた質問、あとで公開しますと言ったまま全く余裕を無くしてしまっていたのだけど、ようやくまとめました。

こちらでご覧いただけます。

https://mariobooks.blogspot.com/2020/12/at.html



青山ブックセンターでのトークイベントは、個人的にもとても大きな経験になった。

告知というものが今までどうも苦手で、ついつい及び腰になっていたのだけど、定員が60人だったこともあり、これはもうそんなこと言っている場合じゃない、と顔つきが変わり、スクッと立ち上がって告知を頑張る形になった。


とはいえ、この状況下だ。声高に来てくださいと言うのも違う。

悩みながらだったけれど、来たい人に届くように、宣伝を続けようと思った。きっと最後にはちょうどいい、不安がない人数になるはず、と思った結果、やはりちょうど良い人数になった。

あっという間だった一時間。

内なるテーマは、「タゴールの気持ち」だった。


今年見て開始後いきなり泣いてしまった『タゴール・ソング』で何度も繰り返される、タゴールの詩にある、『それでも君は心を開いて 本当の言葉を一人で語れ』を私なりに実践できればと思っていた。


「安達さんにとって、働くことはなんですか?今やっていることと、勤め仕事とは違いますか。」という質問を事前にいただいていた。

これに対して、「勤め仕事をしていることにフラストレーションがあった時期も確かにある。だけど、ある時から、自分はアーティストなのだから、職場にいる時もアーティストとして存在しようと思った。クリエイティブに働き、周りを楽しませたりしようと思うようになっていった」というようなことを答えた。それをあとで、質問した人が感想を伝えに来てくれた。「そのことを聞けてよかった」と言ってくれた。それが私は嬉しく、話してよかったと思った。

小張さんのおかげもあって、私もリラックスして、普段誰かと話しているように話せたと思う。少しでも何か心が動いたり、楽しんでいただければいいなと思う。


トークイベントからしばらく経って、来てくださっていた生活綴方の鈴木店長に、前方に座っていた方が、肩を震わせて泣いていた、ということを聞いた。何か触れるものがあっただろうか。

朗読とは奥が深く独特なもので、声の広がりを共有する一種特殊な、独特の場が生まれる。

頑張ればいいというものではないけれど、でもやっぱり「良い」場になればいい。これからも状況が許す限り、声で届けることをしたいと思った日でもあった。




本屋・生活綴方での原画展


12月。妙蓮寺にある本屋・生活綴方での原画展が、『消えそうな光を抱えて歩き続ける人へ』の2020年の部を締め括るような展示になった。

駅を降りると大きなお寺の上に大きな空が広がる、東横線の駅、妙蓮寺。

最初に打ち合わせに行った時は、正直積み重なった疲労でぼろぼろの状態で伺ったのだけど、帰る頃にはパーンと満ち溢れるように元気になっていた。それくらい、素敵な場所だった。

担当してくれたサイトウワタルさんは、以前、ひるねこBOOKSでやっている「Here, you are. - あなたとここにいる -」という、お話ししながら絵と言葉をその場で描いておくるイベントに来てくださったことがあり、まずそもそもその時点で安心感があった。(詳しくは生活綴方発行の『点綴』にサイトウさんが書いてくださっているので、ぜひご覧ください。点綴のおかげで、私は展示が終わった後も寂しくないです)


ニット帽を被り、店内で楽しそうに作業しているサイトウさんの姿を見てまずほっとして、その後「小上がり」という奥のお部屋(今はこたつがある)で、展示やイベント、限定ポストカードの打ち合わせをした。

「楽しみです」と明るい笑顔で言ってもらえて、わかりやすく一気に元気がチャージされた。



生活綴方は、「お店番」システムをとっていて、ちょっと未来的な感じもあって、居心地が良くて、これがとても面白かった。

お店番は今は30人くらいいらっしゃるそうなのだけど、一人一人違った個性の人が交代でお店番をしている。その人達がかわるがわるそこにいることで、その場が温かい場所になっているように見えた。

展示会場が変わると、場所に合わせて展示のトーンも大きく変わる。Titleでの展示で目指したものが「光」であったとしたら、生活綴方で目指したものは「温度」だったかもしれない。あたたかいこと。安心感。誰かの温度に触れて安心すること。

お客さんも、Titleでの展示からのリピーターの方や、なかなか東京の方に出づらいから横浜でやってくれて嬉しいという方、通りがかった方が私の本を読んでくださっていた方だったりと、また多くの出会いがあった。


朗読とトークイベントでは、『消えそうな光を抱えて歩き続ける人へ』、ZINE『光について』、そして当日ふと思いついて、過去に発行された『Lost & Found vol.4』から、自分が書いた文章のラストの部分を朗読した。

2017年に多摩美に集まり、原稿を音読してブラッシュアップを重ねていったこの『Lost & Found』もまた、生活綴方運動に影響をうけたと、主宰の中村寛先生に聞いたことを思い出し、今回のイベントで久しぶりに出してみたいと思ったのだ。きっと、やってよかった気がする。


最後の質問タイムで、「安達さんにとって作品に共通するテーマはありますか」という質問をいただいた。

「多分、ないかも?」と最初は思った。だけど、作品が違っても、作っている人間がずっと信じていて願っているテーマはある。トークではうまく言えたかわからないけれど、それは、人生は一度きりで、あらゆる瞬間は美しいということ。それをできる限り味わってほしいということ。ライフイズビューティフルという実感。それを信じているということ。


そんなことは、質問を貰わなければ考えなかった。このアーカイブも、いつか文字起こしができて本にできたらなあと思う。やりたいことばっかりだけど、ひとつひとつやっていけたらいい。








***


そんな風に、到底書ききれないのだけど、なんとか泳ぎ切ったような2020年後半だった。

1月はひるねこBOOKSで5周年記念の新作個展がある。それもすごく楽しみで、またそのカーブを曲がるとここからは知らない世界が見えるのだろう。驚くほどに毎日毎日進んでいく。

それは悪いことじゃない。


最後に、それでなくても荒々しい海流の中を一瞬一瞬の直感に従い、なんとか泳ぎ続けたような1年のなかで学んだこと。

それは、忙しくなった時、気忙しくなった時は、スローダウンしてみるということ。

物理的にゆっくりすることもあるし、精神的に、頭の中で「その場に留まる」ということを心がけていた。

一瞬一瞬に存在するということ。

例えると、iPadでピンチアウトして、細かいところの絵を描くみたいな感じ。

ああ無理!無理!となった時は、「スローダウン」して、目の前の作業に集中すると、結果早く終わって全然大丈夫だったということがよくあった。

減速すれば、失敗しない。その結果、結局より多くのことが達成される(気がする)。

だから、ひとつひとつやっていけばいい。

焦らず、自分のやり方で、自分の好きなように。

そうすれば、life is yours. 人生はあなたのものになる。



大変な一年でしたが、来年も私は、人と関わり、過去や記憶に思いを馳せ、私が信じることを発し続けられたらと思います。それで出会えたら嬉しい。お世話になった皆様、出会ってくださった皆様、心からありがとうございます。

今年一年、本当にありがとうございました。どなた様も良い一年をお迎えください。








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