ユア・シング・マイ・ストーリー
先日、炎を囲んで物語を持ち寄るというイベントに行った。
高円寺の小さなカフェで、参加者は全部で7〜8人くらい。
フェイスブックで『興味有り』にしている人がいて、面白そうだったので行くことにしたものだった。
当日は朝から雨が降っていて、ベッドの上でどうしようかな〜と思っていたけど、気がつけばなんとなく身支度をして、いそいそと高円寺に向かっていた。
(こういうのが大事だな、と思う。気づけばでかけられている感覚。そういう時は大体良い感じになるか、とんでもなく後悔するかのどちらかだけど、とりあえず正当に、何か従うべきものに従った感じがする。)
思い起こすと、なんだかすごい一日で、終わった後も、次の日もずっと、どこかぼーっとしてしまった。
大きなキャンドルに火をともし、時計回りに「物語」を話していく。
私は何も準備していなくてどうしようと思ったけど、
聞いた話でもフィクションでも実話でも何でも良くて、「その人にとってはただ話しただけでも、他の人がそれを聴けば、それはその人が話した物語になる」と言われた。
なるほどな、と思う。
大きなガラスのコップに入ったキャンドルは、もう芯がほとんど残ってなくて、皆で芯を掘り起こしたり、継ぎ足したり、四苦八苦して火を点けた。
四苦八苦と言っても、そこにきていた人たちは皆なんとなく、年齢問わず火くらい簡単に起こせそうな人たちだったから、無事に「炎を囲んで」話をすることができた。
結局、何周したのかな。
私が最初に喋ったのは、仲の良かった祖母が私に色々話していた打ち明け話(祖父に前妻がいたとか、それをどう思ってたとか)と、それをこうして誰かに語りたいと思うようになったこと、語ることで何かの生命を繋ごうとしていることなのかなと思う、というようなことだった。
それに対して、「さっきの話で思い出したんだけど」という形で、「語ることは、種をまくことだ」という話があった。(逆だったかも!)
7世代かけて種の形態の変化は起こる、という話を引用しながら、自身の先祖がやろうとしていたことが、今自分がやろうとしていることとすごく似ていることを偶然知った、ということを話してくれた。今すぐに何の変化がなくても(あっても)、それを全然知らない人、あるいは数世代先の人が耳にして、その人にとっての何かのきっかけになったりすることもある。
自分の物語を、物語として語ってくれた人もいた。
ここには書ききれないし、書かないで自分で持っておきたい気もする。
だけど、物語を持ち寄り、順番に話していくこと。
そこには、話をすることの原風景、のようなものがあったように思う。
言葉を通じて作用し合うこと、何かをもらって、それによって何かが変わっていくこと(変わらないこと)。
自分の延長線みたいな記憶が、誰かの中で生き延びるかもしれないこと。それが続いていくこと。
あの日に私が聞いたことで、私が何かすぐに行動を起こす訳ではないと思うし、人生観が変わる、なんて大げさなものでもない。
ただ、英語のinception(beginning)とconception(受胎)の語源が一緒(capere:to take)であるみたいに、何かを植え付けることであり、何かを受胎(生々しい)することでもあると思う。
なんにせよ、こうして触れ合うと、私は色々もらうので、記憶がまた豊かになる。
死ぬ時は何も持っていけないというけど、私は思い出くらいは持って行けるんじゃないかと思っている。どうだろうな。
とにかく、なんだかすごい一日だった。
こんなことを書きつつ、私は人とたくさん話すと次の日なぜか自己嫌悪で落ち込むことがあるので、次の日はどこか頭がぼーっとしていた。
特にこの日は、私はなんてお気楽に生きてるんだろう、と思ったけど、お気楽でいいか、とも思った。
人から良く見られたい、場をうまくできる人でありたい、という呪縛は強いものである。
☆
そう、生き延びるといえば……
デジタル化が進んで、色んな作品の”寿命"が短くなったかと思いきや(大量消費みたいに)その実、結構長生きできるようになっているのでは?という気がする。少なくとも、時間による風化が少なくなったというか。
なんのことかというと、
自分と同世代とか若い世代の人の音楽とか漫画が、もっと上の世代とすごく似てる(でもその人達のもので、凄く良い)と最近良く感じる。
「た、高橋るみこみたいだ……(でも新しい)」
「は、はっぴぃえんどみたいだ…(でも同じじゃなくて独特だし凄く良い)」
みたいな。
youtubeとかデジタル化のおかげで、アートというかもはや叡智の域に達している作品世界に触れられるのは有り難いことだ。
でも相変わらず刹那で消えてしまうものがほぼすべてだから、やはりこの時代を自分として生きていることには意味がある。むしろ、その時代にそこにあるものを味わうために、生きているのではないかという気もする。
後の世界の人たちにも、前の世界の人たちにも、どれだけ羨んだって、今この時代を生きているのは(そして限りある生活範囲で)自分なのだ。
そして、どれだけ恨んだって、その時間には行けそうもない。
そんな時、影のように世界に残ってくれている、youtubeやら古本やらに、ありがとうと思うのみである。古本はデジタルじゃないけど…
☆
写真は、イギリス留学時代に古着屋で買ったワンピース。
なんと、タグにはMADE IN EAST GERMANYと書いてある。
すごいでしょ。よく生き延びたなと思う。
そして何より可愛い。
たまにしか着ない、捨てられない服TOP5に入る、赤いワンピース。
今日も地に足が着いていないブログを書いてしまった。
そもそも「地に足が着いている」をググったぐらいだから、しょうがないか。
こんな感じで、益体もないことを、ちまちま更新できたら良いなと思っている。



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