ライ麦パンを買った生命力の強い女
昨日は、恋人たちと時間を過ごした。
彼を見つけると、彼女は彼に向かって、本当に嬉しそうな顔をする。
それを見て、一瞬虚をつかれたような顔をして、そして目をぐっと細めて笑う彼のその顔がどれだけキラキラとしているか、照れ屋のその人は認めないだろう。
愛というものはとてもクリエイティブなもので、
色んな人が、アーティストとして生きる代わりに、
誰か出会ってしまった人を愛しているような気さえしてくるほどに、創意工夫があって、コミュニケーションで、何よりその人全部を使って表現するもの。
見ていて気持ちが良いものだ。
そういうのを見ていると、止められやしない時間の流れを強く感じる。
流れて行く人生の数時間、数分、数秒、この人たちは、愛という感情で満たしているのだと思う。
愛について思い出すこと。
イギリス大学院留学中、同級生に、メキシコ人のカップルがいた。
元々付き合っていて、そのまま一緒の大学院にきたふたり(コースは違う)。
メキシコ人に良くある、陽気でいつも機嫌が良く、思慮深く優しいその可愛らしい二人の、美しい関係は今でも時折思い出す。
私が住んでいたブライトンにはPompoko(ポンポコ)という愛らしい名前の、小さな二階建ての日本食レストランがある。定食屋、みたいな感じ。
丼ものが中心メニューで、安くて量があってそこそこ美味しいので、普通にローカルの人でいつも賑わっていた。
ある冬の寒い日に、そのメキシコ人の彼女を含むクラスメートたちと、ポンポコで遅めのランチを食べていた時だった。
彼氏の「アレックス(本名はアレハンドロ)が後から合流する」と彼女に聞きながら、私たちは先に注文して、色々話していた。
ふと顔を上げると、ちょうどそこに、彼氏のアレックスが入ってきたところだった。
こちらには気づかずに、私たちを探して、混み合った店内を見渡す彼の顔、それは例えば空港で恋人や家族を待っている人の顔だった。
雑踏の中で、その人の姿だけを探しているような。
久しぶりに会う人を探す人の顔だった。
彼女が気づいて立ち上がる。
彼を見つけてすりよっていく彼女の笑顔。
甘くて、緩んで、どこかほっとしたような、こちらも例えるなら、まるで寒い冬に外から帰って来た人みたいな顔をしていた。
ハグして、二人とも笑ったまま身体を揺らす。
日本だったら、お互い1年くらい離れていて始めて発動するような表情と仕草に、思わず見入ってしまった。
ふたりは同じフラットに暮らしていて、毎日一緒に住んでるのに、どうしてそんなふうになれるんだろうなって思った。
思わず見とれてしまった恋人たちの姿は、いつまでも鮮烈だ。
そんなことを反芻しながら歩く。
「生命力が強い」というようなことを言われて、そうだろうか、と思った。
よくわからないけど、いち生命体としては最高の褒め言葉(?)のような気もする。
手を伸ばしたり、空を見上げてみたり。
そして、冒頭に述べた、愛など。
本当は人間がする行為はなんでも、クリエイティブだ。
それこそ本当に、肩書きなんて関係なく、生活をアートのように生きることはできる。
そういう人は、一緒にいて楽しい。
日常は、よく見るとびっくりするほどきらきらしたものだ。
海に浮かんでいる時や、車の窓から顔を少しだけ出している時のように、ただ、波や、風、そのときそこに有るものを享受する行為、享受できる余裕、来たボールを打ち返すような、古い池なんかを見て一句詠んでしまう行為のような、そこに来たものに対して反応するようなこと。
私はともかく、生命力、と呼びたくなるものは大体楽しい。
生を共にするのは楽しい。
恋人たちの姿が美しいのは、きっとそんな風にこの生を共にしたいと、お互いが思っていることをお互いがわかっているからだろう。
帰り道にパン屋でライ麦パンを買った。
それは生命力が強い行為だ、なんとなくそんな気がした。
彼を見つけると、彼女は彼に向かって、本当に嬉しそうな顔をする。
それを見て、一瞬虚をつかれたような顔をして、そして目をぐっと細めて笑う彼のその顔がどれだけキラキラとしているか、照れ屋のその人は認めないだろう。
愛というものはとてもクリエイティブなもので、
色んな人が、アーティストとして生きる代わりに、
誰か出会ってしまった人を愛しているような気さえしてくるほどに、創意工夫があって、コミュニケーションで、何よりその人全部を使って表現するもの。
見ていて気持ちが良いものだ。
そういうのを見ていると、止められやしない時間の流れを強く感じる。
流れて行く人生の数時間、数分、数秒、この人たちは、愛という感情で満たしているのだと思う。
愛について思い出すこと。
イギリス大学院留学中、同級生に、メキシコ人のカップルがいた。
元々付き合っていて、そのまま一緒の大学院にきたふたり(コースは違う)。
メキシコ人に良くある、陽気でいつも機嫌が良く、思慮深く優しいその可愛らしい二人の、美しい関係は今でも時折思い出す。
私が住んでいたブライトンにはPompoko(ポンポコ)という愛らしい名前の、小さな二階建ての日本食レストランがある。定食屋、みたいな感じ。
丼ものが中心メニューで、安くて量があってそこそこ美味しいので、普通にローカルの人でいつも賑わっていた。
ある冬の寒い日に、そのメキシコ人の彼女を含むクラスメートたちと、ポンポコで遅めのランチを食べていた時だった。
彼氏の「アレックス(本名はアレハンドロ)が後から合流する」と彼女に聞きながら、私たちは先に注文して、色々話していた。
ふと顔を上げると、ちょうどそこに、彼氏のアレックスが入ってきたところだった。
こちらには気づかずに、私たちを探して、混み合った店内を見渡す彼の顔、それは例えば空港で恋人や家族を待っている人の顔だった。
雑踏の中で、その人の姿だけを探しているような。
久しぶりに会う人を探す人の顔だった。
彼女が気づいて立ち上がる。
彼を見つけてすりよっていく彼女の笑顔。
甘くて、緩んで、どこかほっとしたような、こちらも例えるなら、まるで寒い冬に外から帰って来た人みたいな顔をしていた。
ハグして、二人とも笑ったまま身体を揺らす。
日本だったら、お互い1年くらい離れていて始めて発動するような表情と仕草に、思わず見入ってしまった。
ふたりは同じフラットに暮らしていて、毎日一緒に住んでるのに、どうしてそんなふうになれるんだろうなって思った。
思わず見とれてしまった恋人たちの姿は、いつまでも鮮烈だ。
| ブライトンのはじっこから中心部に向かう道。 |
そんなことを反芻しながら歩く。
「生命力が強い」というようなことを言われて、そうだろうか、と思った。
よくわからないけど、いち生命体としては最高の褒め言葉(?)のような気もする。
手を伸ばしたり、空を見上げてみたり。
そして、冒頭に述べた、愛など。
本当は人間がする行為はなんでも、クリエイティブだ。
それこそ本当に、肩書きなんて関係なく、生活をアートのように生きることはできる。
そういう人は、一緒にいて楽しい。
日常は、よく見るとびっくりするほどきらきらしたものだ。
海に浮かんでいる時や、車の窓から顔を少しだけ出している時のように、ただ、波や、風、そのときそこに有るものを享受する行為、享受できる余裕、来たボールを打ち返すような、古い池なんかを見て一句詠んでしまう行為のような、そこに来たものに対して反応するようなこと。
私はともかく、生命力、と呼びたくなるものは大体楽しい。
生を共にするのは楽しい。
恋人たちの姿が美しいのは、きっとそんな風にこの生を共にしたいと、お互いが思っていることをお互いがわかっているからだろう。
帰り道にパン屋でライ麦パンを買った。
それは生命力が強い行為だ、なんとなくそんな気がした。


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