Life, and again

Wixブログに記事のエクスポート設定がないことに戦慄し、重い腰をあげてブログをお引っ越し。過去のも手動で移しました。

ブログの名前は、「毛布」。
理由は、毛布という存在が(かなり)好きだからです。
この間思いついて、ペンネームを「まりお毛布」にしようかと思ったけど、なんだか今更なので、ブログのタイトルにリサイクルしました。

(あつくるしいので、夏場は、「毛布」と書いて「タオルケット」と読むのでも可)


光でも闇でもなく、私は毛布のような存在になりたい。
(……夏場はタオルケットのような存在で!)



今日は、代々木のカンボジア料理屋にて、支笏湖の仲間たちとの再会&楽しい宴だった。
支笏湖旅行のことは、Evernoteにがーっと打ち込んで、そして結局公開していない。
想像をとっくに超えて、大きな旅になったので、まとまった文章にして、そこで公開することにした。

大和田慧ちゃんとつながるご縁。
彼女の曲に制作したMV"The Missing Piece"(https://www.youtube.com/watch?v=fxZlU4kSE24)を観た、北海道支笏湖のマフィン屋「ペンネンノルデ」の店主菊地さんが、私にコンタクトをとってくれて、詩集を買ってくださったことから始まった。




イラスト詩集は2冊とも現在も販売してもらっていて、今回はグッズの販売と、パネル展示までやらせてもらった。

初めてメールを頂いてから、今に至るまで、私はこの出会いとその流れがとても嬉しく、こんなことあるんだ、と何度も思った。
詩集が私を遠くに連れて行ってくれたようで、それはまさに念願かなって、ということだったと思う。

行きつけのカンボジア料理店。

心から愛する人たちが集っていて、宴の間、私はずっと幸せだった。
愛と理解と興味と刺激がある空間。
もっともっとゆっくり、自分たちのペースで、できたらもっと暗いところで話したいと思ったから、やっぱり支笏湖に集合だな〜。
このメンバーで、他にも色んな人たちと、たき火でも囲んだらきっと楽しいだろうと思った。

私は好きになった人たちとは、火を見て話したくなる。


キュートな、弾ける笑顔の菊地さん。
最初にお店で出迎えてくれた時は、まあなんとも、初めて会ったとは思えなかった。
でも、予想してたよりもさらに予想通りな素敵な方だった。
菊地さんは大きな愛の人で、小さな体でずっと、自分の中の思いに正直に生きてきた人。
初めて会ったとは思えない、を越えて、ずっと昔から知ってたような気がするくらい近しいものを感じた。
美味しいものが好きで、とんでもなく美味しそうに食べるその姿。
幸せの滝行みたいな時間だった。

    
 


コラボマフィンのアイデアを送ったら、こっちがびっくりするくらいすぐにレスポンスをくれて、そして試作を始めてくれた。
支笏湖への旅は、マフィンコラボのテーマである「君と一緒だと、人生はもっと美味しくなる。」そのままのような旅になった。

一緒に考えてくれた人が、
「マフィンは自己完結型たべものの代表。トーストは何かをつけないと食べられない。だけど、マフィンは何でもかんでも入っていて、それだけで食べられるようになっている。だけど、時々マフィンだけでは飽きることもあるから、何か付け合わせと一緒に食べるマフィンなんて良いのではないか」
とマフィン論を語り始め、当時「人間は補完し合ってナンボなのではないか」みたいな可能性をぼんやり考えていた私は、
「じゃあ、それだけではどこか欠けているけれど、何か付け合わせがあればすごく美味しくなる、というのはどうか」と言ったところ、
「いや、それだけでもちゃんと美味しい方が良いだろう」ということになり、
そこから「それだけでも美味しいマフィン+それがあるともっと美味しい付け合わせ」というコラボメニューコンセプトが生まれ、メッセージとして、

「ひとりでも生きていける。でも、君が一緒だと、人生はもっと美味しい」というものができあがった。

 

マフィンは人生だったのか、と衝撃を受けながら、イメージイラストを起こして、菊地さんに送ったらものすごい勢いで試作品作りが始まり、あっという間にコラボメニューは販売開始となり、そしてあっという間に完売となった。


クランベリー×キャラウェイのマフィン、鹿肉のリエットにハスカップのジャムが甘い×しょっぱい×酸っぱいがぴったりで、「マフィンがすすむ」という初体験!美味しかった。コーヒーも、とっても。

そのために北海道に行ってもいいってくらい、支笏湖はすごい。

コラボ、象徴的なことをやれたので、私はすごく満足だった。
あのマフィンに添えたカードに書いた言葉。
食べてくれた人たちの中に少しでも残れば、こんなに嬉しいことはない。


 


結果的に、そんなコラボマフィンのコンセプトが予言していたようなものになった、支笏湖旅行。
個人的に色々と大きな流れがあって、それは、なんだかこれまでの集大成みたいな旅だった。

ここ数ヶ月、生き直す、ということを考えていた。
それは出会った冊子LOST&FOUND(また別の機会で書きます)を作った人たちが見つけた言葉であって、私の発見ではないので、拝借している感じもする。

生き直す。
そんな実感がある。きっと今、毎日やっていることは、どんなレベルのことであれ、すべてそういうことなのだろうと思う。

生き直すこと。

ここ12年くらいの、結構苦闘していた日々が、幕を閉じたような気がしている。
今はひとつひとつ、海岸のゴミ拾いをするような、そしてきれいな石ころを拾うような、あの頃つらかったこと、今でも時々つらいこと、そういうのを拾っては回収し、そしてその過程できれいなものや報い(恩寵)のようなものを見つけて、
「今はもう大丈夫になった、生きていて良かったね」というような日々を送っている。


この間出会ったタイヨガの先生と、施術&レッスンが終わってほぐれきった体で、彼女のお家兼サロンから駅まで一緒に歩きながら、色んなことを話した。
(前回やってもらった時にも結構さらけ出して色んなことを話していた)

話しながら歩いていて、私はふと、
「わたしはもっと、早くヨガとかやれば良かったのかな」と思ったことを言った。

そうしていたら、今までストラグルしてきたいろんな事が、もっと効率的に昇華されていたかもしれない、という意味で。

少しだけ自嘲気味になったけれど、彼女も私もふと止まって、同時に、

「……でもやっぱり今までのことをなかったことにはしたくないね」と頷き合った。

私よりも一回り年下な彼女の周りは、そこだけゆっくり時間が流れていて、一緒にいると私もゆっくりとなる。
喋っていたのか、それとも自分がそう考えていたのか、それとも彼女が喋っていたのか全然思い出せないけれど、私たちの間に共通にあったのは、どちらもこれまでの時間と過程があって今があることを、自分たちが思っているよりも深く受け入れているという実感だった。
ふたりとも、色々あったのに、どこかでやっぱりその歩みとしか呼べない過去を、愛しいと思っていることが何となく夜の住宅街の道の上で、わかってしまった。

そう、月並みになるけど、すべては無駄じゃない。
留学中に、作家になりたいと思ったから、その願いを叶えるために色んな経験をしたということなのかもしれないと今は思う。

その過程で負ってきたものと、その過程でできてしまった性格を、どうにか生きやすいものにしようと相当なエネルギーを費やしてきた。
どうにかこうにか収まりやすくなったそれを、今はひとつひとつ、日常の中で、日常によって癒している。

(ここでは書けないこともあるので書かない。もちろん、もっと大変/深刻な人はたくさんいるだろうし、自分自身の状態ももっと最悪までいけただろうけれど、自分自身で「大変だった」と言い放つことは、最近の社会の公的私刑的威圧と、個人の自己卑下による積極的服従がセットになってどんどん息苦しくなっている今の時代(ひどいものだ)の中では意味が有ることだと思うので、もっと皆社会にまつろわず、つらいものはつらいと、毅然として言えばいいと思う)


チャプター2、海外ドラマ風に言えばSeason2が始まったような今の気分。


ペンネンノルデさんの店内では、小沢健二の『ラブリー』がかかっていた。
Life、今でも大好きなアルバム。

"Life is coming back"、そうなんだよね。

あんなに肯定的な歌がつんと刺さるのは、
失われてしまった経験があって、そこからの回復を歌っているからだと思う。


Lifeは一度失われた状態にあったこと。
だけどそれはちゃんと手の中に戻ってくるということ。
それの繰り返しであり、死ぬまでそれを続けていくということ。
できればそれを肯定していきたいと、失われていたその時から変わらずずっと思っているということ。
そう思ってきたことが、今の私の性格を作っているということ。


こうしたことを、今やっている文章にまとめようとして、過去のEvernoteを見返していた。

2012年4月9日の日記。


私も何かを作りたい、新しい車がほしいみたいなこの感覚
PEN3で書いたものは、あの時点での私の最大だった。
私は今それをもっと深く、高く、広く、奥へ、超えていきたいと思っている。
旅をするように、日常を生きよう。
幼い頃から私は、どこかもっと遠くに行かなければならないんだろうな、と感じていた。
それは私が望もうと望むまいと、そういうことになっているんだろうな、という予感のようなものだった。
私はもっと遠くに行かなければならない。
一体、誰がそれを望んでいるのだろう?
神様?いや、もっと何か身近な・・・
"FEED YOUR SOUL WHAT IT WANTS"
魂。もしかしたら魂は成長を望んでいるのかもしれない。
そして、このどこか遠くに行かなければならないという、この命題のような思いも、魂がそれを必要としているのかもしれない。
「魂は成長を欲する。」
植物がただ伸びるように。子どもの背が伸び、歯が生えては落ち、宇宙が拡大し、星が消滅し、夜道の街灯電球が燃え尽き、野良猫が子どもを産み、子どもは大きくなりまた子どもを産み、すべてが生命をつなごうとする。限りない消滅の向こうに永遠がある。何もそれを止める事はできない。止まるものではない。
そう考えたらすべてがクリアだ。魂は成長を欲する。植物がただ伸びるように。
結果として・・・私たちは毎日を生きていく。朝起きて、外に出て、嫌な思いも感動も同じように通り抜けて、何かを探し、何かを求め、すべてには意味がないとしてもそれはどこか関係ないような顔をしてフライヤーを手に取ったり展覧会に足を運んだり曲を探したり歌を歌ったり詩を書いたり絵を描いたり、新しい人に会いにいったり、結構な苦労をしながらしている。そのすべてには意味が無いとしても。
それはただ、魂がそれを求めているのだろう。
旅と生活。
私はもっと、もっともっと遠くに行きたい。

この日記から4年。
私はいまでも、もっともっと、と言い続けている。
朝日だって見たいし、夕日だって見たい。
色んなところに行きたいし住んでみたい。
日常をもっとじっくり味わいたい。
ようは、生きたいということ。

もっともっと遠くに行きたいと書いた、この頃の私の願いは、叶えられているようだ。

 
 
 

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